結論から言うと、幸せを定義するのをやめました。 ついでに、探すのもやめた。 幸せの定義、今までの振り返り2回、書いたけど、思ったより早く、最終版です。 たぶん、今回は最終版。 幸せの定義201705 http://wataridori.weebly.com/blog/201705 幸せの定義201707 http://wataridori.weebly.com/blog/201707 定義することをやめたわけ「いまこの瞬間の状態や感覚」もしくは「過ぎた時間を思い出したときの感情」に対して、幸せを感じるみたい。 ある人にそんなことを言われた。 それって、ふとした時に、感じたり、気がついたりするって事で。。 だから「幸せとは◯◯である」と、そこを目指していくのは違う気がした。 当たり前なんだけど、お金とか名誉とか知名度とか、そういうことじゃない。 ミャウの寝顔を見ていると、、、あぁ、幸せ♪ 娘が楽しそうだったり、一生懸命だったりしているのを見る、、、あぁ、幸せ♪ 鳥と未来のことを考える、、、、あぁ、幸せ♪ 一緒にいる人がとても楽しそう、、、あぁ、幸せ♪ ふわっとした感覚を言語化するのは難しくて、定義した瞬間、物質的になり、嘘っぽくなる。 それに、私の幸せの定義は私のものでしかないから、言語化する需要はないわけで(笑) さがすのをやめたわけさっき書いたとおり、幸せって感じるもの。 だから、探すのっておかしな話。 感じないなら、私の中に存在しないか、何かが邪魔して自分の気持ちを無視しているんだと思う。 だから、探すのはやめて、自分をちゃんと向き合うことが大事だとわかった。 これからは?幸せって感じるもので、それはふわっとしたもの。
探さないけど、何もしないわけじゃない。 誰かを幸せにできたら、私は幸せだなって思う。 私が幸せだったら、誰かを幸せにできるんだと思う。 だから、私は幸せでいたい。 心地よい場所や人と過ごしたり、ワクワクすることをしたり、新しいことを取り入れて自分の幅を広げていこうと思う。 いつも穏やかで、いつもご機嫌でいようと思う。
0 コメント
前に書いた「株式会社ワタリドリの事業内容」の通り、今の弊社の事業は「主に鳥が」エンジニアとしてお仕事してくれるから、何もやっていないようにみえるけど、売上はちゃんとあります。 じゃ、私はいつも何しているの?って感じなので、それをまとめてみた。 ざっくり経歴IT業界は10年以上いて、一応、元エンジニア。 3社の小さい会社を渡り歩いて、2016年10月から正社員をやめてフリーランスに。 IT業界にいた期間の半分はプログラミングしていたけど、後半はプロジェクト管理とかプロマネ的な役割。 お客様の実現したい世界を言語化して、システムを作るお手伝い。 それを社内のエンジニアに伝えて、開発。 開発中はスケジュール管理や細かい仕様決めたり、追加要件を受けるかどうか決めたり。 お客様とエンジニアの間にいる【通訳者】です。 今、何しているの?ワタリドリ以外個人事業主として、ワタリドリにジョインする前から続けていた仕事をしています。 内容はいろいろで、対価を頂いているものもあれば、そうじゃないのもあったり、まぁ、結局、やりたい事やっているかも(笑) ・アイデアソンやハッカソンその他イベントの企画運営の助手、事務局。 ・地域と関わりを持ちたいとモヤモヤしながら都会で働いている人向けの連続講座の事務局。 ・何らかのプロジェクトのマネジメント ・snsっぽいサービスの保守 ・個人的にイベントの企画運営 ・マイプロジェクト(というのがあるのです)のサポーター ・恋愛相談、人生相談、○○相談。 ・ITインストラクター ・大学のTA ・南島原そうめん営業課 えとせとら。 「ワクワク」を判断基準に、面白そうなことはもちろん、やったことないことは、とりあえずやってみる。 今、何しているの?ワタリドリで。主に、、、鳥の話し相手(笑) アイデア出しや会社や人生のあり方、ITやIT以外のキラキラする何か。。 鳥とはいろいろな事を話します。 あとは、鳥へのインプットの仕込み。 鳥は本で知識を増やし、世界を広げていくタイプ。内省するタイプ。 私は人に会って、話して、一緒に何かやって、広げていくタイプ。 気が乗らない鳥に、私が知っていて、鳥が知らない世界に触れてもらう、大事なお仕事です。 これからの私ワタリドリが羽ばたくために、鳥の中にある何かを引き出し、実現していく。
あと、そろそろ、自分で何かやらんとなーと思っている。 私はITも他の人よりはわかる方だし、全般的にそこそこ合格点とるんじゃないかって思う。 この1年はアシストが多かった。 「触媒になりたい」って言っていたんで、アシスト的な働きは自分で望んだことで、勉強にもなり、それなりにお役に立てていると思うし、やっぱり、アシストも好きだなぁと。 でも、実績として上手く積み上げられていない気がして。。 一緒に仕事した人はだいたいわかってくれるけど、一緒に仕事をしないと何ができる人なのかわからない。 なので、前に出ていくこともしていこうかなと。 自分の看板で、もしくは、ワタリドリの塚原として、できたことを積み上げていこう。 2017/9/30で正社員をやめて1年たった。 辞めることを決めたのは退職の約11ヶ月。 忙しいこともあったし、複業のできない正社員にはならないと決めていたから、就職活動はしていなかった。 決まっていたのは辞めることだけ。 それでも不思議とどうにかなると思っていた。 実際、この一年はどうにかなった(笑) 個人事業主としての1年辞める2.3ヶ月前に声をかけられ、何をやるのかも聞かずに「いいよー」と即答。 フルタイムは遠慮して、週3の契約社員を手に入れた。 あとはアイデアソンやハッカソンの名ファシリテーターに「弟子にしてください」と伝えたくらいかなw ハッカソンを開催できるようになりたいって思ったから。 幸いにも、名ファシリテーターからもお仕事をいただき、勉強させてもらっている。 個人事業主として、すぐ、なぜか2年くらい前に一度だけ会った人から「要件定義を手伝って欲しい」と連絡があった。 収入がない不安から引き受けてしまったが、結論は失敗。 事前に価値観の共有をしたつもりが、私の価値観を伝えて、「そうだよね。」と言ってもらえたから良しとしてしまった。 5ヶ月近く合意を取れなかった要件を、私が参加して2回目の打ち合わせで、双方納得した形で着地させた。 私としてはこれは大きな結果を出せたと思ったけど、先方はアウトプットを作成する時間をかけたかが価値基準。 もちろん、検討した時間や要件変更とかでやり直した時間は含めない。 文化や価値観の違う人と一緒に仕事をするのは難しい。 これはとても良い勉強になった。 これ以降、 判断基準は、面白そうか、自分のやりたい事か、好きな事か、好きな人か。 わからない時は、気になるなら引き受ける。 おかげさまで、仕事の幅も広がり、できる事も増え、自発的なアクションも含め、毎日楽しく過ごしています♪ 株式会社ワタリドリ始めました4月に鳥の会社の商号変更して仕切り直し、そのタイミングで参画。 なんと、取締役に。 個人事業主でやっていた仕事はそのまま続けていて、今は余白の時間でワタリドリ。 どんな事業をやるか、鳥と考えてる中。 そろそろう何かが動き出しそうな予感。 今後の方向1年前を改めて振り返ると、その時思っていた方針はこんな感じ。
①「面白そう」とか、何か心が動いたらやってみる。判断基準は「ワクワク」 ②複数の拠点(帰る場所、居場所、ふるさと、、みたいな)を持って、いろいろな土地を行ったり来たりする生き方 ③キラキラしたエンジニアに会いたい、増やしたい、眺めたい(笑) 1年たった今、 「キラキラしたエンジニア」がエンジニアだけにこだわらなくなったのは変化かもしれない。 キラキラしている、素敵な人はエンジニアだけじゃなくて、たくさんいる。 やっぱり、そんな人と会うと、ワクワクするし、楽しい。 そんな人を増やせるといいなーって思いは変わっていない。 働き方改革とか最近良く聞くけど、とても違和感を感じる。 人はもっと楽しく働けるのになー。 さて、2年目はどんな1年にしようか。 きっとワクワクで楽しい1年に違いない。 ツールについて適当に出した単語データベース。 単語の他にパラメーターが10個くらいあって、その単語の性質が点数化されている。 パラメータはなんでもいいんだけど、例えば「楽しそう度」「難易度」「実現可能度」とか。 このパラメータもそれぞれ満点が10点とか5点とか変えている。 ちなみに、点数は鳥の主観。 つまり、合計点数が高ければ高いほど、鳥にとって魅力的なキワードになる。 「追加」ボタンを押下すると、スプレッドシートの一番下の行に単語データベースから異なる3つの単語がが表示される。 合計点数が低すぎるキーワードの組み合わせは、そもそも作る気にもならないだろうということで、抽出されないように、また3つのキーワードは重複しないように、スクリプトは書かれている。 その3つのキーワードを元にアイデア出し! アイデアソンのメソッドで「マトリックス法」ってあるんだけど、それの3次元バージョンみたいなツール。 「追加」ボタンで取得した3つのキーワードの他に、その組み合わせのパラメーターの点数も表示されている。 つまり、点数が高ければ鳥にとって魅力的なキーワードから出てきたアイデアだから、そのアイデアは上位に行く。 3つのキーワードのパラメータポイントの他に「追加点」があって、アイデアに対して、追加ポイントが付与できるようになっている。 笑ったポイント①アイデア出しするために、ツールを作っちゃうところ。 普通、作らないでしょ(笑) 点数が低すぎるキーワードの組み合わせは出したくないから、ランダムにカードを引く関数を再帰的に呼び出しているらしい。 笑ったポイント②単語にパラメーターつけて点数化しちゃうところ。 単語は粒度もバラバラで適当に思いついた単語を書き出していった。 それに対して、律儀に点数を登録していく(笑) 意外性を出すためにも、単語は適当でいいと思うんだけど、 「点数が低すぎるキーワードの組み合わせは、そもそも作る気にもならない」 という仮説があるから、パラメータに点数を付ける必要がある。 まぁ、ロジックで評価する必要があるから、点数をつけるのはとてもわかりやすいんだけどね。。 単語に点数つけるって……(笑) 笑ったポイント③アイデアに対して、追加ポイントが付与できるところ。 3つのキーワードの合計点数は単語データベースのパラメータを元に計算している。 それだけだと、キーワードの評価になってしまうから、アイデアに対して評価を追加ポイントで反映している。 「単語の合計点数だけで評価するの変じゃない?」って言ったら 「いいアイデアには追加ポイントできるようにしてあるから大丈夫」って回答。 全く、抜かりがないというか……(笑) まとめアイデア出ししていくと、きっとその中から気になるアイデアが出てくると思うし、それは点数とか気にしなくてもいいんじゃないかなって思った。
鳥は点数で上位のアイデアを実装していくって言う。 良いアイデアが上位にくるはずだからって言う。 単語を点数化したり、点数の低い組み合わせは出ないように、でもきちんとバラけるようにスクリプトを作ったり、追加ポイントで柔軟な対応できたり。。。。 私の疑問や質問も、さも想定内のように言い返してくる。 これらを実現するためにツールを作っちゃうところが、鳥っぽいなぁ(笑) 百聞は一見に如かず。 文章だとわかりづらいので、どんなツールか見てみたい方いましたら、お会いしたときにお見せしますww 鳥が「なぜ嫁と始めたか」って書いたので、私も。 そんなに深い話ではない version.楽しいに違いないと思ったから。 以上!! だと終わっちゃうので、、、 私の周りではネガな反響はなく、みんなが面白がってくれる。 強いて言うなら母くらいか。 「四六時中仕事も一緒にいて大変じゃないの?」 母方の祖父母は自営業で母が子供の時から四六時中一緒だったし、父は私が高校の時から自宅を事務所に仕事するようになっていた。 それがあるからの「大変」なのか、それを棚に上げて「大変」なのか…… 両親も祖父母も仲良しなのにね(笑) まぁ、どうであれ、私たちが大変になった時に話し合ったりすれば良いわけで、そんな不安よりもワクワクの方が圧倒的に上回った。 それに、鳥が楽しそうなことしてるのに外野はつまらないからね! 少しだけ深い話 version.う〜ん……
う〜ん…… う〜ん…… 深い話が出てこない(笑) 私が持っていないモノを鳥は持っている。 鳥が持っていないモノで私が持っているモノもあるはずで。 二人共持っていないモノ、二人共持っているモノも、もちろんある。 そんなわけで、 鳥+私=結構すごいワタリドリ だと思っている(笑) 今は鳥が一人で稼いでいてるだけで、新しい事業はこれからなんだけど、、、 慌てなくてもいいかな。 失敗してもいいかな。 何度でもチャレンジして、いつもワクワクすればいい。 ワタリドリの片足にはITって軸があって、私と鳥の片足はそれぞれ違う軸になって、合わせて3つの軸で安定する。 やっぱり、 鳥+私=最強のワタリドリ になるかもしれない。 そういえば、、、 「GeneLife® Haplo 祖先遺伝子検査キット」で検体採取した結果が届いていました! 私の祖先は……中国大陸中部で約3万5,000年以上前に誕生した、中央・東アジアで最大のグループ(Dグループ)。 朝鮮半島、中国中央〜東北、中国南部を移動して日本に入ってきたらしい。 日本人の35%がDグループになるらしい。 どんなグループ?最初はアメリカの先住民から発見。 モンゴロイドの分布と重なり、アジアに多い。 日本では縄文時代では発見されず、弥生時代の遺跡の人骨から発見。 つまり、母は弥生時代に日本に来たということ。 弥生時代といえば、稲作。 稲作によって食物の供給が安定してきたから、人口拡大。 100歳以上の方のミトコンドリアを調べたところ、グループDの遺伝子を持つ方が多く、長寿のグループ。 と言うものの、私の母方の祖母は早くに亡くなっているけどね、、、 氷河期時代に出現したとも言われ、寒さに強い! そういえば、私は寒い好きじゃないけど、そう言われるとちょっと安心(笑) まとめ一番多いグループという、なんのオチにもならない結果となりました(笑)
ミトコンドリアは母からしか引き継がれません。 なので母から受け継いだミトコンドリアを調べることにより、ツールがわかるっていう検査キットですが、父から受け継いだY染色体でもハプログループがわかるらしい。 父方から受け継ぐY染色体からツールを探ってみるとまた違う結果になるのかな。 先祖のルーツを知ったところで、なんにもならないんだけど、結果が出るまでワクワクして楽しかった! このワクワクの理由ってなんだろう?? 娘に聞かれました。(あ、娘います。この話はそのうち。。) 「会社名が『ワタリドリ』なのは知っているけど、何やっている会社なのか、わからん」 ってことで、、、 ①業務委託事業主に鳥がガッツリ。 プロジェクトに参画して、お客様と共にプロジェクトのゴールを目指します。 対応言語は幅広く。 Ruby、JavaScript、Java、Go、Python、、、、 クラウドはGCP(Google Cloud Platform)とかAWSとか。。 新しい言語のキャッチアップは早いです。 最近、Haskellがブーム?? コミュニケーション能力の高めのエンジニアです。 守備範囲は広い方。何でもやります。鳥が(笑) ②受託開発事業主に鳥がガッツリ。 今は業務委託がメインになっているので、積極的には取りに行ってないですが、必要なときや面白そうな案件があったら。 規模に応じて、エンジニア集めてチーム作ります。 そう言えば、私も元エンジニアだったっけ。 前職までの経歴でいうと、前半はエンジニア。 後半はプロジェクト管理やらPM的な、、 お客様とエンジニアの通訳です。 必要になれば、私もこの辺はやるんだろうな…… ③新規事業開発事業株式会社ワタリドリになって、2人で再出発して、「何やるかはこれから考えます」の部分。 「自由に飛び回り道の体験で毎日をあふれさせる!」を目指して、何か事業を起こす。 ゆくゆくはこちらをメインにしていく予定。 鳥のいったりきたりな部分です。 今は輝かしい未来に向け、鳥のやりたいことに向け、一歩を踏み出すために、ひたすら対話。 軸はITにあるけど、「海外」「コミュニケーション」など、キーワードが見えてきた。 これは前から見えていたと思うんだけど、いろいろ話したり、体験したり、話したりして、鳥が自分で見つけたキーワードだから、大事に丁寧にしていきたい。 そんな感じで、鳥の中にある何かを紐解いていく。 「まずは動いてみること大事だよね。」 「何かを続けることって大事だよね。」 「カレー美味しいよね。」 「カレー100杯作れば何かが見えてくるかな?」 「見えてくるかもね。」 「よし、やってみよう。」 ってことで、「嫁とカレー100杯作る」プロジェクト始動中。 まとめ娘の一言がきっかけで、ワタリドリが何をしているのかをまとめてみました。
「○○事業」ってそれっぽく(笑) ワタリドリ、ちゃんと売上あげていますよー、鳥が。 あ、それを言いたかっただけかもしれない。 さらっとカンボジアの歴史をおさらい①世界遺産のアンコールワットが作られたのは12世紀。意外と最近。 13世紀以降、国境のタイとかベトナムに侵略されたり、フランスの植民地になったり、日本にも侵略され、それに紛れて独立宣言したものの、日本が降伏したから、またフランスの植民地に。 当時の王様のシハヌークさんが頑張って独立運動して、1953年に完全独立。カンボジア王国の誕生。 お隣ではベトナム戦争。 カンボジアではロン・ノル主導のクーデターが起こり、クメール共和国樹立。1970年。 ベトナム軍の基地か何かを破壊するために、アメリカ軍をベトナム都の国境付近に侵略さ、そのせいで爆撃受けたりで、国民の不満もたまり反政府活動が激化。 ロン・ノル政権と共産主義勢力「クメール・ルージュ」の間で内戦があったり。 そんなこんなで耕作面積249万ヘクタールあったのが、1974年には5ヘクタールに激減し、深刻な食糧不足になっていた。 1975年にロン・ノルは国外へ脱出。 4月17日にクメール共和国は降伏、ポル・ポト率いるクメール・ルージュがプノンペンを占領。 プノンペンではクメール・ルージュを歓迎するも…… これが暗黒の時代の始まり。 さらっとカンボジアの歴史のおさらい②クメール・ルージュがプノンペンを占領した時、ロン・ルノ政権に不満を持っていたプノンペンのみんなは歓迎していた。 でもその日のうちに食糧生産に従事させるために、住民は集団農場へ強制移住させられる。 病人も高齢者も妊婦も関係なく炎天下を何日も歩かされた。 集団農場では食べ物も満足に与えられず、ひたすら農作業。 過労や栄養失調、マラリアの蔓延で人はどんどん死んでいく。 ポル・ポトの理想は原始共産制社会。 毛沢東やマルクス主義の影響を受けて、共産主義が更に強烈になった感じ。 狩猟採集社会を理想としていて、階級がなくて、富は公平に分配される世界を目指した。 石器時代みたいな、狩で獲った獲物はみんなで分けましょう、、みたいな世界。 そんな世界には医師や教師など知識階級は不要とされ殺害されることに。 「医師や教師や技術者は優遇します、国のために」っていいながら、集めては殺害していく。 「カンボジアのために!」と集まってきたのに。。。 これはやり方がひどすぎる。 しまいには、対象がエスカレートして、 「メガネをかけている」「時計している」→「知識人に違いない」→拷問して殺害。 でも、これはポル・ポトの指示じゃなくて、伝言ゲームで歪んで伝わったという話もあった。 でも、殺害されていたのは本当みたい。 大人は殺されていくし、子供の方が洗脳しやすいからって、武器を持った兵士子供、お医者さん子供、、 子供が支配するようになる。 子供が手術もやっていたらしく、当然ながら、治るものも治らず死んでしまう。 原始時代が理想なら、医者じゃなくて祈祷にすればよかったのに。。 さらっとカンボジアの歴史をおさらい③プノンペンの少し南の方に行くと今回行ったトゥール・スレン虐殺犯罪博物館。 トゥール・スレンはあとから付けた名前で、当時は秘密の場所だったから「S21」という暗号名だった。 2年9ヶ月の間に14,000~20,000人が反革命分子として収容されて、そのうち生還できたのは7人とか。 殺害するために理由が必要だからと、嘘の証言させるために拷問する。 証言したあとは、もれなく殺害。。 この場所は秘密の場所だから、収容された人を出すわけにもいかないから。 看守も忠誠を示すために残虐行為を行うしかない。 そんな看守であった彼らもS21の存在を知っているため、いつ粛清の対象になるかわからない。 結果として、多くの看守が収容され処刑されてた。 もう、いろいろ最悪。悪循環。 拷問の内容は悲惨すぎてかけません。。。。。 知りたい人は鳥がちょろっと書いている投稿を読んでね。 詳しく知りたい人は、ぐぐってみると写真付きでわんさか出てきます。 最終的にはベトナム軍によって発見。 その前にクメール・ルージュは全員逃亡した後で、残るのは遺体ばかり。 ようやく、ポル・ポト政権が終わる。 この大虐殺の結果、現在のカンボジアは高齢者がとても少ない。 参考適当にwikiをまとめたものなので間違っていたらごめんね。 もっと詳しく知りたければ、wikiでも見てくださいませw ググればもっといろいろ出てきます。 カンボジアの歴史wiki 民主カンプチアwiki S21wiki トゥール・スレン虐殺博物館に行ってみて。。せっかくだからと日本語版のオーディオガイドをレンタル。
1つ目のガイドを聞き終わった時から私は泣きそうになっていた。 最初は青い空に緑がいっぱいのお庭が映えて、外国人観光客がたくさん来るなーと。 実際は、それとは正反対、暗黒の歴史、未だに落ちない血の跡、たくさんの罪のない人がここで…… 最初のガイドは入ってすぐ、白い四角い石が並んでいる場所。 青い空と緑の植物と白い石が馴染んでいて何も考えてなかったけど、ガイドを聞き終わってわかった。 白い四角い石はお墓だった。 ズーンと何かがのしかかってくる感覚。 近くのA棟はクメール・ルージュ逃亡後に放置された遺体の写真とベッドが置いてある部屋。 私は中には入れなかった。 とてもとても悲しかったし、どんな気持ちで見れば良いのかわからなかった。 部屋から出てくる人はみんな沈黙。 その後も展示しているものに合わせてガイドを聞いて行く。 ただ見ているだけでは知ることのない情報も音声ガイドは説明してくれる。 想像を絶する内容と今いる場所で起こったという事実に、喉に何か詰まるような、苦しさを感じる。 最後の棟も目を覆うような写真や絵で、私は建物に入れず。 鳥は最後まで全部見たし、全部聞いていた。 その絵以外の撮影は全体的にOKなんだけど、全く撮る気にもなれなかった。 ずっとずっと考えていたのは、どうしてこうなっちゃったんだろうってこと。 ポル・ポトは子供の頃の体験と得た知識と成長する過程で、少しづつ少しづつ、なにがズレていって、歪んでいってしまったのかな。。そもそもどーしようもない異常者だったのか?? 同じような事、カンボジア以外でも起こっている。 共通しているのは、「目指すものはユートピア」? 理想の世界観があって、想うことがあって、だけど、それを作る手段と仲間を間違えたのか。 間違っている方向に進んでいるんじゃないかって、途中で気がついた人いないのかな、、 集団の中では「それは違う」って言うのは勇気がいるし、そこに染まってしまうと善悪の区別がつかなくなってしまうってのもあるよね。。戦争とかそうだよね。 「善」とは何か。「悪」とは何か。 何かに怯えていていたのかな。 「恐怖」で人をコントロールすることが良い方法だと思っていたのかな。 何と戦っていたのかな? 誰を幸せにしたかったのかな。 私にはわからないし、想像できない。 今回、いろいろと調べていて、ポル・ポトのwikiに書いてあった 「後妻と娘は『世間が何と言おうと、私達にとっては優しい夫であり、父でした』と語った。」 というのが、心にひっかかっている。 擁護する気持ちはないです。 でも、誰もが可哀想すぎるのではないか。。 とても良い天気が良くて緑の映える青空の下を、沈黙で下を向いて敷地内を歩いている人たち。 それもまた、異様な雰囲気だった。 こんなこと、二度と起きてほしくない。 博物館では「ここで見たものを多くの人に伝えてください」って言っていた。 伝えるのって難しいし、聞くよりも実際に見た方が良いです。 なので、カンボジアに行ったときは、ぜひお立ち寄りください。 その後、マーケット行ったり暑さの中を歩き回ったせいもあるけど、精神的にも疲弊したのか、夕方にホテルに戻ってシャワーを浴びたらそのまま朝まで寝てしまった。。 ホテルの朝ご飯朝食はビュッフェ。 日本によくあるホテルの朝食ビュッフェっぽい感じ。 フォーと卵料理はオーダーで作ってくれて、種類が結構あった。 でも、フォーはミニ丼くらいの器だから、他のものが食べられなくなっちゃう。 鳥が頼むから、私は「一口ちょうだい」w フルーツが豊富なのが好き! 3日の食事トゥール・スレン虐殺博物館に行った日なんだけど、、 朝ごはん食べてトゥール・スレンにお出かけ ↓ オルセーマーケット行って ↓ 途中でハンバーガーとアイス食べて ↓ セントラルマーケット行って ↓ 雨降りそうでコンビニ寄って ↓ ホテルに帰宅 その後、二人で朝まで爆睡。 この日はホテルのレストラン行こうかーって言っていたので、残念でした(笑) カンボジアのマーケットオルセーマーケットは混沌としすぎて、写真を1枚も取れず(笑) 積み上げられた商品が倒れそうで怖いし、通路も狭いし、暑いし、いろいろなものがごちゃ混ぜな匂い。 家電も服も食器も食材もアクセサリーもギュッと押し込めた感じ。 迷子になりそう(笑) あと、地震きたら大変だなぁ、、、って思った。 怖くて早く外出たくて、素通りして外に出てしまった(笑) セントラルマーケットは天井が高く、オルセーマーケットより安心感もあり、一応、貴金属を中央に、食材と衣服と雑貨となんとなく場所が区切られていて、歩きやすかった。 売っているものといえば、日本では100均で売っていそうな物だったり、金ピカの何に使うんだ?みたいなものだったり、なんでもあり。 ちょっとした広場で将棋みたいなゲームをやっている人もいて、人が集まる場所なのかな。 めっちゃ暑いんだけどねぇ。。 カンボジアではいろいろなところで、フルーツを剥いて売っている人がいる。 大抵が女性。 ここでも気怠げにフルーツを剥いている人、カットしたフルーツにハエが飛んでくるからなんとなくパタパタやってハエが止まらないようにしている人、皆さん、ガッツリ売ってやるぜ感はなく、緩やかな時が流れている。 混沌具合はオルセーマーケットに負けずなんだけど、食材のところはワクワクできたな〜。 鳥ダウン、暑すぎて避難最終日はそんなに時間もないので、とりあえず、ロイヤルパレス。 でも、鳥がダウンしたから、休憩のため、近くにあったHimawari Hotel & Service Apartmentsのカフェに避難。 ケーキは予想していたよりも美味しかった! ライムジュースとバナナジュース頼んで、お迎えのトゥクトゥクが来るまでの〜んびり。 鳥がずっと寒そうにしていたから、お店の人が温かいお湯をくれて、ほっこりしました♪ カンボジア→バンコク→成田プノンペン国際空港からバンコクまでの短い間に出る食事は相変わらず慌ただしい(笑) 嬉しかったのがPABLOのチーズタルト! バンコクから成田は変わらず。 「fish or sausage?」って聞かれたけど、行きに聞かれた「fish or Omelette?」と同じだった。。残念。 フルーツは美味しかったな。 日本時間の4時くらいに起こされて、食べる(笑) 初めての海外とご飯当然のことながら、生水は飲まないようにしていた。
氷ってどうなんだろう?って思ったけど、まぁいいかって飲んでいたなぁ。 何もなかったから、ちゃんと処理している氷だったのかな。 スパイシーな食べ物は少なかったから、お腹こわすこともなかったし、カンボジア料理は日本人にも合うと思う! 衛生観念を考えてしまうと、躊躇するところもあったり、とにかく暑くてマーケットの屋台は行かなかったけど、次行く機会があったら食べてみたいかも。 あと、フルーツがおいしいねー。 トゥクトゥクさんがくれたフルーツ(名前忘れちゃった)がライチみたいな感じでとても美味しかった。 フルーツ食べる旅に行きたい(笑) 「GeneLife® Haplo 祖先遺伝子検査キット」で鳥と私の祖先を調べてみることにしました。 日本人の9人の母アメリカ・ネイチャー誌に1987年に発表された、レベッカ・キャン博士らによる「ミトコンドリア・イヴ論文」によると、ミトコンドリアDNA(母から遺伝するDNA)を辿ると「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれる一人のアフリカの女性に行き着くそうです。 人類の起源はアフリカからという「アフリカ単一起源説」 ちなみに、ミトコンドリア・イブが唯一の人類の祖先ではなく、母系のミトコンドリアDNAを辿っていくと、ミトコンドリア・イブに辿り着いたよって話なのですが、まぁ、この話は割愛w で、ミトコンドリア・イブの子孫たちは、様々な人種に枝分かれして、現代人は35人の母の子孫と言われていて、更に、日本人の95%が9人の母が起源とされているそうです。 今回は検査キットで鳥と私のミトコンドリアDNAの型の違い「ハプログループ」を調べてみることにしました♪ 検体を採取する!鳥と私の細胞を採取しまーす。 箱を開けると、説明書と同意書と検査キットが入っていました。 赤い蓋に長い綿棒がついていて、ほっぺの内側をクルクルして、10分乾かして蓋して完了。 郵便ポストに投函して完了。 検査結果は1ヶ月後です!! |