先に結論からいこう。 自分でもこれだっていうモノは見つかっていない!・・・ ・・・・・・ ではこの投稿の趣旨はなんなのか。 「自分流の最近実行している面白そうなモノの見つけ方」と 「人から聞いた面白そうなモノの見つけ方」の話。 ことの発端は、遠く振り返ると 「ワタリドリで何しよう。ワクワクする・まだ知らないことをやろう」 である。 ただ圧倒的に仕事脳でストイックマシンだった自分は「ワクワクする」ことが分からなかった。 平日も土日もプログラミングをし、読む本は勉強になりそうな本。 音楽はYouTubeで仕事中に聴き、夜は時間があればジムに行く。 たまーに遊びに行ったり、飲みに行ったり。 仕事としての役立つ能力は上がる(気がするし)、 それなりにお仕事はあるし、お金ももらえる。 まぁまぁ幸せである。まぁまぁね。 以前は「俺これやる!」みたいなのあったような・・・選んで、実行する。これだけだ。 「高校物理授業取ってないけど工学の方が楽しそうだし、独学で取り切ろう」 「途中で投げて後悔したことがあるから、大学4年間は部活(サークル)は最後までやろう」 「世の中いろんな人いるやん。カナダいって英語学ぼう。大学院とか知らん。」 「介護業界の情報整理したり、ケアマネ等のお役所ワークどうにかしよう。起業しよう」 「やることないけど、ジャストアイデア形にしてみるか。起業しよう part2」 「3日後から東京に来れるかって?福岡在住だが。。ま、楽しそうだから行ってみるか」 そういうやつ。選んで、実行する。と楽しい。 今は選ぶものがない。 鋼鉄の棒になっていく。忙しさとか慣れのせいにして、外部からの刺激を正常に受け取れなくなってくると感性は棒になる。 自分で揺らすことも外から揺らすこともどんどん難しくなってくる。 斜に構えたり、「それxxxでしょ」やってもいないのに知ってるふり、何やってもまぁまぁ楽しい。 現状のままの方が辛くないし(楽しいとは言ってない)いいかなって。 人に会うの億劫じゃん、それなんのメリットがあるの? こんな感じになってくる。 自分流の最近実行している面白そうなモノの見つけ方このままじゃ退屈で生ける屍状態になってしまう。これはイカン。 そんなことを思っていたら面白そうな本に出会った。だいぶスピ系の要素もある本ではあるが。 その本には 「毎朝、頭に思っていることを3ページ書き出す」 「一週間にわずかでもいいから自分のための時間と空間で小さい新しいことを取り入れる」 みたいなことが書いてあった。 そのまんま実行した。 ワクワクすることが見つかった訳ではないが、変化が少しずつ起こり始めた。 早起きになったり、小さな変化に気づいたり、プログラミングが減ったり、ダンス行ったり、旅に出たり、畑に行ったり、人にあったり、カレー作ったり、fbで知らん人にメッセージ送ったり(返信なかったなw)・・・ その中でなんとなーく大切だなと思っているのは「その時に何を思っているのか」を察知することだ。 何かやりたい。とか、何か目指したいものがある。とか、 そういうのが出てきた時に察知できるようになるかもしれない。 人から聞いた面白そうなモノの見つけ方で、そんなこんなをやっている時に人に質問して返ってきた話。 「嫁とラブラブしてなさい」 「五感を使ってモノを感じてみるといい」 ということだった。これもそのまんま実行していくことにしよう。 自分で始めたことと大きくずれてることもなく意外だった。 今やっていること、始まるかもしれないこと温度差こそあれ、別に完璧にやろうとも思っていないのでだいぶ幅があるが次のものがリストアップ中。
なんか面白いもんが始まるといいなー。
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2017/9/30で正社員をやめて1年たった。 辞めることを決めたのは退職の約11ヶ月。 忙しいこともあったし、複業のできない正社員にはならないと決めていたから、就職活動はしていなかった。 決まっていたのは辞めることだけ。 それでも不思議とどうにかなると思っていた。 実際、この一年はどうにかなった(笑) 個人事業主としての1年辞める2.3ヶ月前に声をかけられ、何をやるのかも聞かずに「いいよー」と即答。 フルタイムは遠慮して、週3の契約社員を手に入れた。 あとはアイデアソンやハッカソンの名ファシリテーターに「弟子にしてください」と伝えたくらいかなw ハッカソンを開催できるようになりたいって思ったから。 幸いにも、名ファシリテーターからもお仕事をいただき、勉強させてもらっている。 個人事業主として、すぐ、なぜか2年くらい前に一度だけ会った人から「要件定義を手伝って欲しい」と連絡があった。 収入がない不安から引き受けてしまったが、結論は失敗。 事前に価値観の共有をしたつもりが、私の価値観を伝えて、「そうだよね。」と言ってもらえたから良しとしてしまった。 5ヶ月近く合意を取れなかった要件を、私が参加して2回目の打ち合わせで、双方納得した形で着地させた。 私としてはこれは大きな結果を出せたと思ったけど、先方はアウトプットを作成する時間をかけたかが価値基準。 もちろん、検討した時間や要件変更とかでやり直した時間は含めない。 文化や価値観の違う人と一緒に仕事をするのは難しい。 これはとても良い勉強になった。 これ以降、 判断基準は、面白そうか、自分のやりたい事か、好きな事か、好きな人か。 わからない時は、気になるなら引き受ける。 おかげさまで、仕事の幅も広がり、できる事も増え、自発的なアクションも含め、毎日楽しく過ごしています♪ 株式会社ワタリドリ始めました4月に鳥の会社の商号変更して仕切り直し、そのタイミングで参画。 なんと、取締役に。 個人事業主でやっていた仕事はそのまま続けていて、今は余白の時間でワタリドリ。 どんな事業をやるか、鳥と考えてる中。 そろそろう何かが動き出しそうな予感。 今後の方向1年前を改めて振り返ると、その時思っていた方針はこんな感じ。
①「面白そう」とか、何か心が動いたらやってみる。判断基準は「ワクワク」 ②複数の拠点(帰る場所、居場所、ふるさと、、みたいな)を持って、いろいろな土地を行ったり来たりする生き方 ③キラキラしたエンジニアに会いたい、増やしたい、眺めたい(笑) 1年たった今、 「キラキラしたエンジニア」がエンジニアだけにこだわらなくなったのは変化かもしれない。 キラキラしている、素敵な人はエンジニアだけじゃなくて、たくさんいる。 やっぱり、そんな人と会うと、ワクワクするし、楽しい。 そんな人を増やせるといいなーって思いは変わっていない。 働き方改革とか最近良く聞くけど、とても違和感を感じる。 人はもっと楽しく働けるのになー。 さて、2年目はどんな1年にしようか。 きっとワクワクで楽しい1年に違いない。 1マス目。土曜日、ご飯食べた後に嫁と外を歩きつつ話をすると、自分の中でこんな結論に至った。 「事業というものをやりたい。多分。」 この会社の経緯として前回の会社の体を終了させた時点でフリーランスでいいかなと思っていた。 ただ会社の方が仕事としてやりやすかったから存続させていただけのこと。 それから1年経ち「嫁となんかやるか」と決めてさらに半年が経った。 後付け社長みたいなもんなので本当に何やるか決まっていなかった(今も決まってはいないけど) いろいろなサービスのアイデアは出る。あったらいいなと思う「作りたいものリスト」も手元にだいぶ前から存在する。ただ動くほどの熱量はない(最近まで夜も土日も別ワークで時間なかったのもあるが)。それでも何かしないとなーとモヤモヤ。自分でいうサービスとは「何かを与えるための手法の一つ」。だからそれを作るという話をしてもその後の話が全然繋がらない。誰のために、なんのために作るのか、という熱量がないと先に進まない自分にとってはちょっと辛い。サービスより上位の概念が必要だった。 また別の観点だと、受託とかはなんか違うんだよなーと話を進めていたら「積み上がらないから」かもしれない。大変なものでも簡単なものでもサービス開発に携わればモチロン全力で取り組む。去年も半年前も一ヶ月前も一週間前も何か作っていた。自分のスキルが身についてそれはとても良かった。きっと明日も明後日も一週間後も一ヶ月後も一年後も作っている。作るものやスキル・職能は変化していたとしても。きっと辛くない、それなりに幸せそうにしている。 ただなんかそれが違うような気がした。なんなのかはよく分からなかった。 全然言語化できていないが自分の幸せっぽい何かに対して積み上がっていないような気がする。 作ったからには積み上げようぜ。そんな場所があるといいなと。 自分は火をつけられる着火型の人間だと思っていた。他には、自燃型の自ら燃えられる人、着いている火を消してまわる消火型の人がいて、自然型の人に火をつけてもらうと燃えるタイプの人間だと思っていた。多分今でもそうだとは思う。しかし、これまでの自分を振り返ってみると自燃型の人に憧れというか「俺もそうなりたい」みたいなのがありそうだった。多分恥とか、そういうタイプじゃないしみたいなのがあって出していなかっただけかもしれない。 なので、そんなこんな話をし続けた結果 輝かしい未来的な何か>ビジョン的な何か>事業>サービス>あとは頑張れ になった。考えるレイヤーを一つ上に上げることができたのかもしれない。前回の話で事業とかよく分からないということを書いたが、そりゃそうだ。考えたことがないから。ただのワーディングだろ!というのがあるかもしれないが、サービスだと「俺が何かを俺のために作る」になる、事業だと「誰かに何か良い影響やモノを渡す」というイメージ。それだとそのためになんか必死こいてサービス作るのはできる気がした。 さてスーパーのんびり進んでいるけど多少前進(ということにしておこう)。1マス進む。 2マス目。実はワタリドリ、ロゴがない。発注依頼もかけていない。
理由「名称以外何も決まっていないから 笑」 土曜日、嫁の白Tシャツに落書きをするというイベントが発生した。テーマは「HAPPY」だった。 なんかとりあえず大量のクレヨン片手に線を描いていったらこれかな。みたいなのになった。 なのでロゴの原型ができた。多分。 そのうちイラレかなんかのツールで適当に描いてみよ。さらに1マス進む。 悟り開くためにカンボジアに行き、 戻ってきてから色々な本を読み、 それでも「何が幸せなのか」とか「何が楽しいのか」とか相変わらずモヤモヤとしている。 モヤモヤでいいのかなと受け止め始めているの半分 それでも少し焦っているの半分 という認識に至っている。 次は何だ。それでも次に何をやろうかと模索している。 カンボジア最終日に病に倒れたときに海外でもさらっと病院とか行けると助かるなーと感じていた。なのでそれをそのままサービスにしようかと検討。人の本質は善だと思いたいし、苦しんでいる人を少しでも助けたり、苦しんでいるときに助けられたりするのは良い世界だなと。 だが、改めて考えると自分は本当にしんどかったら、なんだかんだ宿泊先の人に聞いていくことが多そうではある。海外から日本に来た人は一部日本語が分からないから不安という話も聞いたが、それでもシンドかったら行きそう。最終的に着手するまでの熱量が沸いてこなかったので一旦保留。。。 模索しながらも省みるにカンボジアに行ったおかげで自分に関して分かったことがある。 それは「海外に対する未知感」と「コミュニケーションの楽しさ」である。 新しいものを見たり、知らないもの食べたり、調べたり、文化・歴史を知ったり、 その過程もその想像もワクワクするし体験するとやっぱり楽しかった。 海外の人と話をするとやっぱり知らない話がたくさん出てくる。もっと長く話ができればよりローカルな話もできそうだ。一方でプログラミングとか職の話で盛り上がることもできたり、いろんな人が同じだったり違ったりそういうのが楽しい。 なので相変わらず何やるか決まっていないけど、「海外」というのはキーワードとして盛り込むことになりそうだ。日本でも海外でも利用できるし、触れ合うことができるようなサービス。。。分からん。 そもそも事業とかサービスとは?全く分からん。アレもコレもやりたいというとても熱量があるようなタイプではない。
たまに30までに起業するって言っている強い意志を持った人もいる。ただ自分は違う。 なんとなーくこれがやりやすそうだから今やっている。だから事業とかよく分からない。 自分の本質もおそらく「モノを作る人」だから、これまで「作っている過程」とか「いかにして作るのか」とか「構造・仕組み」とかの方が興味があるし楽しい。ただ最近少しだけ感覚が変わってきて、「誰かのために」作ってみたい。というのが少し顔を出すようになった。「自分の手で」というところは変わらないのだが。 ただ今までそんなに深く考えたこともないし、業務委託や受託開発におけるお客さんは何か違う。そのモノを定義しているのがお客さんだからだろうか。とりあえず違和感がある。 だから今「楽しそうなこと」「面白そうなこと」「困っていること」などを探している。全然見つからないけど。。。自分の感覚が全ての事象に対して「楽しい」とか思うわけではない(政治とか服とかあまり興味がない)ので何かしらフィルターはあるのだと思うがイマイチぴんとこない。 興味があれば少しやってみて、楽しければ続けるし、褒められたりして嬉しかったら続けるし、やりたくなくなったらきっと違うんだろうと思って辞めるし。という繰り返しをして長く続きそうなモノに対して何か自分なりの価値を乗せてモノを作れるといいなーと漠然と思っている。 ということで「嫁とカレー100杯作る」方向になった 笑 途中で方向転換するかもしれないし、空き時間で全然関係ないプロダクト作るかもしれないけど、まぁそれはそれ、これはこれだ。 カレーブログか、ここに書くか決めてないけど、外に出せるようにしていこう。カレー。 そんなに長く生きていないけど大きく価値観が変わることとか、自分自身の心根で判断したことがある。 その時はそれがどんな影響を及ぼすのかそんなに遠くまで考えることはなかった。 ただ「楽しそうだから」とか「そっちの方が良い気がするから」とかそんなもんで判断してきた。 行った道を振り返ると…そんな適当な判断の元に選択をして行動をしてきたのだが、振り返ると自分自身がちょっとずつ進化してるんじゃないかなと思える。やっている時はただひたすらに進んでいるので全然気づかないのだが。。。 この「判断をして行動をする」というのを進化のタネであると思っている。 今ワタリドリは何やるかまっっっっっったく決まっていない(笑)そしてあんまり焦っていない。 この時期はひたすらに自分に向き合い続けている感じがするしそれで良いのだろう。 「楽しそう」とか「良さそう」とか「好き」とかをじんわり見つけていきたいのだ。 あまりにも鈍っていてこの「楽しそう」とか「良さそう」とか見つけづらくなっている自分がいるのにも気づいている。だから進化のタネの見つけ方を探しているのだが、十人十色だ。 いろんな人がいて、「そういう時はとりあえずやってみたらいい」「そういう時はのんびり本読んで美味しいものを食べていたらいい」「そういう時は目の前の仕事に没頭したらいい」などなど。 嫁と話をしていると思う、多分自分の場合はひたすらに自分に向き合い続けるのが良さそうである。 人によっては自分以外の誰かとの会話を通して見つめることが多い。という人もいる。 自分もおそらくある程度の外界からのショックによって得ることも多い。過去の経験でもそれはそうだった。 あぁこれかもな。と思える新しい何か。を探している。 ということで絶賛探している進化のタネワタリドリの掲げている「未知の体験」というのもその進化のタネの一つだろう。
過去ものすごい価値観を変えた場所がある。 それまで見たことのないものに出会って衝撃を受けた。 また行きたいなーと思っているし近いうちに行く。 ということで、今この割と自分自身を「よくわからんなー自分の感情とか?」「楽しさってなんだろうか?」とか思いながらのんびり構えている状況で、かつある程度生活ができて、かつなんでも話せる嫁がいて、というこの何か良さげな状況で同じような衝撃が受けられるといいかもな。 と思ったので明後日からカンボジア行ってきます。 未知に出会って、ワクワクして、悟り開こう。 それは今の世代の世界への向き合い方のようだった私はいろんなものに影響を受けることが多いということを先に記載しておこう。数年前のスティーブ・ジョブズのスピーチだったり(今度これもブログに書こう)、ビジョナリーカンパニーであったり、ZeroToOneであったり、まぁいろいろだ。 さて、今の世代の多くの人は何らかの「目的」を持って日々を送っている、もしくは何か「目的」が欲しいと思いつつ生活しているのだろう。私もすべからくそんな世代の一人であるように思う。だから何をやるのか決めてもいないのにいきなり会社を作り変えたり、違うと思ったら速攻辞めたりする。 多くのものが自動化されたり機械化されていて、以前に比べてめんどくさいなと思うことはどんどん減っていき、家から出なくても本は届くし、2,3分歩けばコンビニもある。ただ生きるだけなら別になんてこともなさそうだ。だから別なところで「目的」やら「やりがい」を見つけないと生きる屍と呼ぶ以外の何者でもない。しかも仕事上はテクノロジーの最先端という訳ではないがある程度足の速い業界にいて、他の業界に比べるとfacebookやgoogleも僅かながら近いような感覚があり、世の中はすごい速さで進歩していて一人の脳じゃキャッチアップなんて到底不可能そうで、落ち着いて「目的」とか探している余裕はない人も多そうだ。 そんな中で拠り所を探している人のために「目的感」を作らなくちゃいけない。と言っている。「目的感」という日本語が難しいが"Sense Of Purpose"という英語である。「目的」それ自体ではなく、「目的感」。それは自分以上の大きな存在の一部だと感じることができて、自分が必要とされていて、輝かしい未来のために日々努力を続けられる。大いなる「目的」の中にいる「感じ」を作り出すことという理解をした。自分の中では「大志」とか「大義」とかの表現に似ている。 最近読んだビジョナリーカンパニーにも似たような記載があった。確かそれは「情熱」と表現されていた。企業の中の全員が「情熱」を持ち取り組める事業に絞るという文脈があった。その中に属すれば(もちろん全員が適格者であるという訳ではないが)、中の人は圧倒的なパワーと個人での適格な集中と選択を行えるという話だった。 自分だけではない、他の人が「人生の目標」も持てるようにしていかなくてはいけないのかもしれない。ここ最近だと身の回りでは良くWill(意思)という表現を耳にする。しかし、自分自身は現時点であまり強いWIllを持っていない。だから少しずつ始めようと決めて嫁に手伝ってもらっている。 The Greatest Successes come from having the freedom to fail.多くのスタートアップが失敗する。10年以上続く会社は5%にも満たない。そんな話は良く聞く。 ではそこで諦めるのか。チャレンジして失敗したら二度と社会復帰ができないのか。確率的には失敗するからやらないのか。失敗したら経済的な余裕がなくなる人もいるだろう。それはとても残念でならない。私は色々やってきたけど幸福にも今はまだ無事に生かしてもらっている。いろんな人によって。 成功する確率が5%なら20回くらい挑戦すれば成功する、多分、きっと、そう信じている。自分ではトライする回数しかおそらく制御ができないから。マークザッカーバーグだってfacebookは一番最初のプロダクトではないと言っている、JKローリングだってハリーポッターを出版するまでに12回もリジェクトされている、ビヨンセだって"Halo"の前には100個以上曲を作っている。 「失敗する自由」が大きな成功を生み出す。そんな自由がまだ許されているし、他の人に比べたらとても恵まれた状況にもいるなーと改めて感じた、 ローカルコミュニティ「目的を一緒に目指してくれる人」がいて、「目的を作る人」がいて、何か大きなものが出来上がっていく。なんか良さそうな未来ではある。
自分の生きているコミュニティで良い実感がない限りは、他のコミュニティを考える余裕はない。自分が一人じゃないことが分かれば強くなることができて、自分の可能性を広げることができる。始まりは小さな変化だが、コミュニティを作り、ありとあらゆる人と繋がって目的を感じれられる世の中を創ることが、大きな課題をクリアしていく力になるだろう。とマークザッカーバーグは言っている。 嫁は私とは違って地域創生とかローカルコミュニティに参加するのが好きらしい。私をいろんな人と会わせてくれて様々な話を聞かせてもらう。私は気質なのかあまり外に出ようとしない。本読んだり、家でモノ作っていた方がなんか楽だからだ。だが、こうやっていろんな所に連れ出されるようになるとまた何か違った変化があるのだろう。と願う。 人と繋がることは私にはきっと怖いことなのだろう。だから信頼のある筋(だれかから繋げてもらったり)したところじゃないとあんまり上手く交流できない。まぁ私はそんな人間であるという理解はしているが、なんかもやっとするところもある、、、と思うということはきっともっと上手く繋がりたい。と思っているのだろうな。 なので、このスピーチは私にとっては勇気の話。 株式会社ワタリドリ誕生で書いたが、前身となった会社では自社サービス開発をしていた。前身の会社は、設立の段階から「なんかお金になりそうなことやろうぜ」という主目的があった。だからとりあえずパイの大きそうなモノを選択して作った。 そこに特別愛情とか執着とかあるわけでもない領域に対してサービスを作って展開した。 個人的にはサービス開発するという過程が好きだったのでモノは出来上がった。 どうなっていったのか。結局はそこに想いも情熱も信念もないわけだ。 xxxはダメなサービス。と言われればいちいち凹み。 xxxの利用率が上がらない。となれば速攻別なサービス作ろうかなと思ったり。 追加の機能開発は「他のyyyで見たような機能」が乗ってくる。 (SNS連携とかクーポンとか) こうなってくると、 作っても否定されてどんどん萎える。 利用率が上がらないので浮気しようとする。 追加の機能が自分から出てこないから外部サービスを観察するようになる。 「何のために」「誰のために」作ってんだろうという感情が拭えない。 願わくば違う形であってほしい。 作っても改善だと受け止めて真摯に直す、改善する。 利用率上がらないのを耐えてユーザー調査する。 追加機能は「これが自分が思う最強のyyyだ」というのを作る。 そうなるためには情熱というか熱狂というか「使命感」か「楽しさ」が必要なのだろう。 前進となった会社では最終的に、 「お金も必要だけどそのために魂捧げられるほどでもない」という。 悲しいかな目的と大きくずれているのに気づきすっぱり辞めるのであった。 だから今。そんな反省というか気づきを得て、「誰かのため」「何かのため」になる開発したり、アクションを起こしたりしたいなというのを考えた。けどあまりコレっぽいってのは出てこなかった。
実験的に「無償で誰かのために力を貸す」というのもやってみた。どうやらそれもまぁまぁレベルではあるが、ダラダラと長くなるのはいただけないし、こちらに他に得るものがないのも辛い話になってくる。これはこれで何かしらリターンが必要なのだ。 そんなこんなな話を嫁とたくさんした。少しだけ明確になったことがある。 まず「自分が楽しいこと、ワクワクすること」これが大切だ。 そして「嫁が楽しそうにしていること、ワクワクすること」これが次に大切だ。 これからもそんな話をたくさんするんだろう。 直近はアイデアリストとか気づきリストから、面白そうだなというのを形にしてみたり、いろんな人の話を聞いたり、知らんところに行ってみたりというのをやってみようかなと。 「ワタリドリ」ってワタリドリって、、 「根無し草」 「働き場所や住み場所を転々とする人のこと」 「ある土地から別の土地へと、さ迷い歩く人のこと」 という比喩表現があり、これらはちょっとネガティブな表現に聞こえる人が多いのでは。 でも、私たちのワタリドリはポジティブなイメージです。 人はもっと自由であって良いと思うし、私たちはそうであり続けたい。 「自由に飛び回る」から。 「行きたいと思ったときに行く」から。 「行った先でも仕事したい」から。 だから、ワタリドリ。 会社名を考える「ワタリドリ」が出てくるまで、たくさんの会社名を考えました。 ・一度で聞き取りやすい名前にする ・よくある単語は単語はやめる。 ・でも、造語にしない ・イメージ大事 と、いう基本ルールのもと、 ITっぽくしてみたり、英語にしてみたり、ラテン語とか。 未来のイメージはオレンジ。 鳥はブルー、私がオレンジなイメージだから、ブルーとかオレンジを入れてみようとか。 青いものはなんだろう? オレンジのものはなんだろう? 鳥の会社だから、鳥っぽくしてみようとか。 オレンジとブルーの鳥っているかな? いろいろ出してみたけど、どれもピンとこない。 最終的に、何気ない会話の中で出てきた、ワタリドリに鳥が反応して決まりました。 世間一般的なワタリドリの表現を考えると良いイメージが良くない。 それを社名にするのに若干の不安はあるものの、私たちを表す言葉としてはピッタリすぎました。 そんな感じで「ワタリドリ」に決定! 「ワタリドリ」でよかった!「いい、社名だね」って、言ってもらえるのが嬉しい♡
本日無事に変更登記が完了した。少し遡るが、4月末に株式会社ワタリドリへと商号等の変更などを行なった。 特に法務局から連絡があるわけではないが調べたら登記が完了していた!! これで晴れて正式に「株式会社ワタリドリ」を名乗れる訳である。 この記事で「なぜにワタリドリなのか。」を記念に書いておこう。 その前に、前身の会社は鳥が二年前に友人と設立した会社である。 1期目。 なんか面白くてある程度お金になりそうなものを作ろうとwebサービスを立ち上げた。開発に4,5ヶ月くらいかかり、その後はピッチに出たりある程度活動をしていたのだが途中で大きな2つの間違い(っぽい)のに気付いた。 それは「自分の価値観がお金だけではなさそう」と「このサービスはユーザーを向いてない」である。 自分の価値観はお金だけではなさそうである。元も子もない話だが聖人君主でも10年何も食べずとも生きていけるという訳ではないので私もお金は必要だ。
また、今でもモノを作るという行為自体は好きである。なので作ること自体に嫌悪感がある訳ではない。 じゃ何が違ったのか。 あまりモノとか物質っぽいものに極端に興味がなかったのだ。 今でも買うものはほぼ本くらい。車とか服とか買わない。。。 人はお金さえあればなんでも叶えられるとは言う。まぁそうなんだろうなと思う。 やりたいこともできるし、行きたいところにも行ける。会社だって買える。 もしかしたら幸せだって買ったり与えたりできるのかもしれない。 ただ規模の大小さえあれ、自分の価値観って 自分で選択して、目標を定めて、叶うまで努力して、叶えたらその状態を楽しむ。 これをやることが一番近しいのかと思う。 お金があると選択肢が増えて目標が大きくなる感じなのかなと。 その過程でお金を生み出して生活できたら素晴らしい。 目標とかやりたいことが見つかったらそっちに向けばいい。 いろんな選択をしていろんな扉を開ければ楽しそうなの何かあるといいなと思っている。 なので、 自由に飛び回り未知の体験で毎日をあふれさせる ことができる世界にしよーと思ってそんな会社の名前と目標にしてみた。 「このサービスはユーザーを向いてない」については次回書こう。 |