結論から言うと、幸せを定義するのをやめました。 ついでに、探すのもやめた。 幸せの定義、今までの振り返り2回、書いたけど、思ったより早く、最終版です。 たぶん、今回は最終版。 幸せの定義201705 http://wataridori.weebly.com/blog/201705 幸せの定義201707 http://wataridori.weebly.com/blog/201707 定義することをやめたわけ「いまこの瞬間の状態や感覚」もしくは「過ぎた時間を思い出したときの感情」に対して、幸せを感じるみたい。 ある人にそんなことを言われた。 それって、ふとした時に、感じたり、気がついたりするって事で。。 だから「幸せとは◯◯である」と、そこを目指していくのは違う気がした。 当たり前なんだけど、お金とか名誉とか知名度とか、そういうことじゃない。 ミャウの寝顔を見ていると、、、あぁ、幸せ♪ 娘が楽しそうだったり、一生懸命だったりしているのを見る、、、あぁ、幸せ♪ 鳥と未来のことを考える、、、、あぁ、幸せ♪ 一緒にいる人がとても楽しそう、、、あぁ、幸せ♪ ふわっとした感覚を言語化するのは難しくて、定義した瞬間、物質的になり、嘘っぽくなる。 それに、私の幸せの定義は私のものでしかないから、言語化する需要はないわけで(笑) さがすのをやめたわけさっき書いたとおり、幸せって感じるもの。 だから、探すのっておかしな話。 感じないなら、私の中に存在しないか、何かが邪魔して自分の気持ちを無視しているんだと思う。 だから、探すのはやめて、自分をちゃんと向き合うことが大事だとわかった。 これからは?幸せって感じるもので、それはふわっとしたもの。
探さないけど、何もしないわけじゃない。 誰かを幸せにできたら、私は幸せだなって思う。 私が幸せだったら、誰かを幸せにできるんだと思う。 だから、私は幸せでいたい。 心地よい場所や人と過ごしたり、ワクワクすることをしたり、新しいことを取り入れて自分の幅を広げていこうと思う。 いつも穏やかで、いつもご機嫌でいようと思う。
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1マス目。土曜日、ご飯食べた後に嫁と外を歩きつつ話をすると、自分の中でこんな結論に至った。 「事業というものをやりたい。多分。」 この会社の経緯として前回の会社の体を終了させた時点でフリーランスでいいかなと思っていた。 ただ会社の方が仕事としてやりやすかったから存続させていただけのこと。 それから1年経ち「嫁となんかやるか」と決めてさらに半年が経った。 後付け社長みたいなもんなので本当に何やるか決まっていなかった(今も決まってはいないけど) いろいろなサービスのアイデアは出る。あったらいいなと思う「作りたいものリスト」も手元にだいぶ前から存在する。ただ動くほどの熱量はない(最近まで夜も土日も別ワークで時間なかったのもあるが)。それでも何かしないとなーとモヤモヤ。自分でいうサービスとは「何かを与えるための手法の一つ」。だからそれを作るという話をしてもその後の話が全然繋がらない。誰のために、なんのために作るのか、という熱量がないと先に進まない自分にとってはちょっと辛い。サービスより上位の概念が必要だった。 また別の観点だと、受託とかはなんか違うんだよなーと話を進めていたら「積み上がらないから」かもしれない。大変なものでも簡単なものでもサービス開発に携わればモチロン全力で取り組む。去年も半年前も一ヶ月前も一週間前も何か作っていた。自分のスキルが身についてそれはとても良かった。きっと明日も明後日も一週間後も一ヶ月後も一年後も作っている。作るものやスキル・職能は変化していたとしても。きっと辛くない、それなりに幸せそうにしている。 ただなんかそれが違うような気がした。なんなのかはよく分からなかった。 全然言語化できていないが自分の幸せっぽい何かに対して積み上がっていないような気がする。 作ったからには積み上げようぜ。そんな場所があるといいなと。 自分は火をつけられる着火型の人間だと思っていた。他には、自燃型の自ら燃えられる人、着いている火を消してまわる消火型の人がいて、自然型の人に火をつけてもらうと燃えるタイプの人間だと思っていた。多分今でもそうだとは思う。しかし、これまでの自分を振り返ってみると自燃型の人に憧れというか「俺もそうなりたい」みたいなのがありそうだった。多分恥とか、そういうタイプじゃないしみたいなのがあって出していなかっただけかもしれない。 なので、そんなこんな話をし続けた結果 輝かしい未来的な何か>ビジョン的な何か>事業>サービス>あとは頑張れ になった。考えるレイヤーを一つ上に上げることができたのかもしれない。前回の話で事業とかよく分からないということを書いたが、そりゃそうだ。考えたことがないから。ただのワーディングだろ!というのがあるかもしれないが、サービスだと「俺が何かを俺のために作る」になる、事業だと「誰かに何か良い影響やモノを渡す」というイメージ。それだとそのためになんか必死こいてサービス作るのはできる気がした。 さてスーパーのんびり進んでいるけど多少前進(ということにしておこう)。1マス進む。 2マス目。実はワタリドリ、ロゴがない。発注依頼もかけていない。
理由「名称以外何も決まっていないから 笑」 土曜日、嫁の白Tシャツに落書きをするというイベントが発生した。テーマは「HAPPY」だった。 なんかとりあえず大量のクレヨン片手に線を描いていったらこれかな。みたいなのになった。 なのでロゴの原型ができた。多分。 そのうちイラレかなんかのツールで適当に描いてみよ。さらに1マス進む。 また考えていた幸せの定義。 つらつらと文字にしてみる。 鳥と私の違い私は「美味しい」も「楽しい」も「嬉しい」も幸せの一種なんじゃないかなと思ってる。 美味しくて幸せ 楽しい時間を過ごせて幸せ 嬉しいことあって幸せ みたいな。 でも、鳥は違う。 美味しいは美味しい。 楽しいは楽しい。 嬉しいは嬉しい。 まぁ、私も全部の美味しいが、必ずしも幸せなのかって言うと違う気もするけど、大体は幸せかな。 鳥の幸せは、想像を超えるワクワクに出会った時らしい。 アドレナリンっぽい! 私にとってはそれも幸せと言う。 私は幸せのハードルが低い(笑) あいりん地区で思ったこと前日、大阪であいりん地区のairbnbに泊まった。 あえて選んだのではなく、予約したらあいりん地区だったわけで…… 夜遅くに通ったら、屋根のあるところは、連なるように人が寝ていた。 見たことないくらいの自転車の量。でも、キレイに並んでいた。 明るくなった時間も雰囲気がなんだか違う…… たくさんある生活保護相談所、擦り切れたズボン、季節外れの長袖、一泊千円台の宿、やたら安い自販機。缶ビールは150円だった。 道路に座り込んでビールを飲みながら談笑する人達。 すれ違う人に邪悪な雰囲気は不思議と感じられなかった。 週末にオシャレなカフェでオシャレなパンケーキ食べておしゃべりする女子と、あいりん地区で道に座って缶ビール飲みながら談笑していた人、どちらが幸せなんだろう。同じくらい幸せなのかもしれない。 鳥が言ってた。 外で寝るのはあまり好きじゃないかも。。。虫いそうだし。。 今みたいに安い賃貸マンションで寝れるのは、十分満たされている。 高層マンションの最上階でキングサイズのベッドじゃなくていい。 良いとか悪いとかじゃない。 でも、何かの衝撃があった。 うまく言葉にできない感覚があった。 ミャウと野良猫ちゃんうちには茶トラのオス猫「ミャウ」がいる。 生まれた場所はゴミ屋敷。 2匹兄妹の子猫と一緒に保護された子で、保護主さんから譲っていただき、里親になりました。 成猫になった今は、ビビリで知らない人が来ると押入れにこもって出てきません。 動物病院では子猫にシャーってされて、ケージの中で後ずさり。 保護されて以降、家猫だから、外の世界を知らない子。 ご飯は健康を考えて、カロリー控えめのキャットフード。 駐輪場に行く途中で出会った猫はまだ小さな黒猫。 耳の先がカットされているさくらねこだったから、避妊・去勢手術して、ここにリリースされたみたい。 懐っこく、同じスピードで隣を歩いても逃げない。 ニャニャって鳴き声が、小さかった時のミャウに似ている。 翌日、娘も見かけて写真を送ってくれた。 ご飯は近くにあるどんぶり屋さんがくれるお刺身らしい。豪華! 寒い冬も雨の日も関係なく安全な家にいられて、キレイな飲み水とご飯が用意されているけど、世界は広いことや、外を自由に歩きまわってドキドキとワクワクに遭遇することもなく、お刺身もらえないミャウ。 のら猫ちゃんはその反対。 どっちが幸せ? 幸せ判定他と比較するのは違う気がする。
幸せじゃないこととの格差で幸せと感じると言う人もいた。 ドラマってほとんど見たことないんだけど、懐かしいドラマ「29歳のクリスマス」で心に残っているセリフがある。 「幸福の中に、ぽつんぽつんと不幸があるのと 不幸の中に、幸福がぽつんぽつんとあるのと どっちがいいと思う?」 以前はより幸せを強く感じることができそうな後者だったんだけど、今は幸せの中にぽつんぽつんと不幸がある方がいいなって思った。 だって、いつも幸せなんだから、ぽつんと来る不幸なんてどうってことなさそうだから。 ほんわか「幸せだなぁ」って時は、何かと比較してなくて、自然と溢れる感情。 「あなたは幸せですか?」と聞かれると、無意識に何かと比較して、格差で判断している気がするなぁ。 何が幸せを決めるんだろう。 誰か教えてー 幸せってなんだろう?私に関わる人は幸せであってほしい。 幸せな人に囲まれていたい。 人を幸せにするような仕事をしたい! じゃぁ、幸せってなんだろう? ずっと自問自答しても答えが見つからない。 だから、いろいろな人に聞いてみた結果、とりあえず、わかったことは、幸せの定義は人それぞれってこと。 幸せの定義今、一番、納得している幸せの定義は 「セロトニンとドーパミンの分泌する量」 これが一番、しっくり、腹落ちした(笑) もう少し、掘り下げると、、 ドーパミンは短期的な幸せ。 仕事がうまくいったときの達成感や勝負事に勝ったときの高揚感。 あと、美味しいものを食べたときとか。 セロトニンは長期的な幸せ。 好きな人や家族と一緒にいるとき、十分な睡眠を取ったとき。 ほっこりした感じ。 おそらく、一生変わらない結論誰かを幸せにできたら、私は幸せだなって思う。
私が幸せだったら、誰かを幸せにできるんだと思う。 だから、私は幸せでいよう。 |