さらっとカンボジアの歴史をおさらい①世界遺産のアンコールワットが作られたのは12世紀。意外と最近。 13世紀以降、国境のタイとかベトナムに侵略されたり、フランスの植民地になったり、日本にも侵略され、それに紛れて独立宣言したものの、日本が降伏したから、またフランスの植民地に。 当時の王様のシハヌークさんが頑張って独立運動して、1953年に完全独立。カンボジア王国の誕生。 お隣ではベトナム戦争。 カンボジアではロン・ノル主導のクーデターが起こり、クメール共和国樹立。1970年。 ベトナム軍の基地か何かを破壊するために、アメリカ軍をベトナム都の国境付近に侵略さ、そのせいで爆撃受けたりで、国民の不満もたまり反政府活動が激化。 ロン・ノル政権と共産主義勢力「クメール・ルージュ」の間で内戦があったり。 そんなこんなで耕作面積249万ヘクタールあったのが、1974年には5ヘクタールに激減し、深刻な食糧不足になっていた。 1975年にロン・ノルは国外へ脱出。 4月17日にクメール共和国は降伏、ポル・ポト率いるクメール・ルージュがプノンペンを占領。 プノンペンではクメール・ルージュを歓迎するも…… これが暗黒の時代の始まり。 さらっとカンボジアの歴史のおさらい②クメール・ルージュがプノンペンを占領した時、ロン・ルノ政権に不満を持っていたプノンペンのみんなは歓迎していた。 でもその日のうちに食糧生産に従事させるために、住民は集団農場へ強制移住させられる。 病人も高齢者も妊婦も関係なく炎天下を何日も歩かされた。 集団農場では食べ物も満足に与えられず、ひたすら農作業。 過労や栄養失調、マラリアの蔓延で人はどんどん死んでいく。 ポル・ポトの理想は原始共産制社会。 毛沢東やマルクス主義の影響を受けて、共産主義が更に強烈になった感じ。 狩猟採集社会を理想としていて、階級がなくて、富は公平に分配される世界を目指した。 石器時代みたいな、狩で獲った獲物はみんなで分けましょう、、みたいな世界。 そんな世界には医師や教師など知識階級は不要とされ殺害されることに。 「医師や教師や技術者は優遇します、国のために」っていいながら、集めては殺害していく。 「カンボジアのために!」と集まってきたのに。。。 これはやり方がひどすぎる。 しまいには、対象がエスカレートして、 「メガネをかけている」「時計している」→「知識人に違いない」→拷問して殺害。 でも、これはポル・ポトの指示じゃなくて、伝言ゲームで歪んで伝わったという話もあった。 でも、殺害されていたのは本当みたい。 大人は殺されていくし、子供の方が洗脳しやすいからって、武器を持った兵士子供、お医者さん子供、、 子供が支配するようになる。 子供が手術もやっていたらしく、当然ながら、治るものも治らず死んでしまう。 原始時代が理想なら、医者じゃなくて祈祷にすればよかったのに。。 さらっとカンボジアの歴史をおさらい③プノンペンの少し南の方に行くと今回行ったトゥール・スレン虐殺犯罪博物館。 トゥール・スレンはあとから付けた名前で、当時は秘密の場所だったから「S21」という暗号名だった。 2年9ヶ月の間に14,000~20,000人が反革命分子として収容されて、そのうち生還できたのは7人とか。 殺害するために理由が必要だからと、嘘の証言させるために拷問する。 証言したあとは、もれなく殺害。。 この場所は秘密の場所だから、収容された人を出すわけにもいかないから。 看守も忠誠を示すために残虐行為を行うしかない。 そんな看守であった彼らもS21の存在を知っているため、いつ粛清の対象になるかわからない。 結果として、多くの看守が収容され処刑されてた。 もう、いろいろ最悪。悪循環。 拷問の内容は悲惨すぎてかけません。。。。。 知りたい人は鳥がちょろっと書いている投稿を読んでね。 詳しく知りたい人は、ぐぐってみると写真付きでわんさか出てきます。 最終的にはベトナム軍によって発見。 その前にクメール・ルージュは全員逃亡した後で、残るのは遺体ばかり。 ようやく、ポル・ポト政権が終わる。 この大虐殺の結果、現在のカンボジアは高齢者がとても少ない。 参考適当にwikiをまとめたものなので間違っていたらごめんね。 もっと詳しく知りたければ、wikiでも見てくださいませw ググればもっといろいろ出てきます。 カンボジアの歴史wiki 民主カンプチアwiki S21wiki トゥール・スレン虐殺博物館に行ってみて。。せっかくだからと日本語版のオーディオガイドをレンタル。
1つ目のガイドを聞き終わった時から私は泣きそうになっていた。 最初は青い空に緑がいっぱいのお庭が映えて、外国人観光客がたくさん来るなーと。 実際は、それとは正反対、暗黒の歴史、未だに落ちない血の跡、たくさんの罪のない人がここで…… 最初のガイドは入ってすぐ、白い四角い石が並んでいる場所。 青い空と緑の植物と白い石が馴染んでいて何も考えてなかったけど、ガイドを聞き終わってわかった。 白い四角い石はお墓だった。 ズーンと何かがのしかかってくる感覚。 近くのA棟はクメール・ルージュ逃亡後に放置された遺体の写真とベッドが置いてある部屋。 私は中には入れなかった。 とてもとても悲しかったし、どんな気持ちで見れば良いのかわからなかった。 部屋から出てくる人はみんな沈黙。 その後も展示しているものに合わせてガイドを聞いて行く。 ただ見ているだけでは知ることのない情報も音声ガイドは説明してくれる。 想像を絶する内容と今いる場所で起こったという事実に、喉に何か詰まるような、苦しさを感じる。 最後の棟も目を覆うような写真や絵で、私は建物に入れず。 鳥は最後まで全部見たし、全部聞いていた。 その絵以外の撮影は全体的にOKなんだけど、全く撮る気にもなれなかった。 ずっとずっと考えていたのは、どうしてこうなっちゃったんだろうってこと。 ポル・ポトは子供の頃の体験と得た知識と成長する過程で、少しづつ少しづつ、なにがズレていって、歪んでいってしまったのかな。。そもそもどーしようもない異常者だったのか?? 同じような事、カンボジア以外でも起こっている。 共通しているのは、「目指すものはユートピア」? 理想の世界観があって、想うことがあって、だけど、それを作る手段と仲間を間違えたのか。 間違っている方向に進んでいるんじゃないかって、途中で気がついた人いないのかな、、 集団の中では「それは違う」って言うのは勇気がいるし、そこに染まってしまうと善悪の区別がつかなくなってしまうってのもあるよね。。戦争とかそうだよね。 「善」とは何か。「悪」とは何か。 何かに怯えていていたのかな。 「恐怖」で人をコントロールすることが良い方法だと思っていたのかな。 何と戦っていたのかな? 誰を幸せにしたかったのかな。 私にはわからないし、想像できない。 今回、いろいろと調べていて、ポル・ポトのwikiに書いてあった 「後妻と娘は『世間が何と言おうと、私達にとっては優しい夫であり、父でした』と語った。」 というのが、心にひっかかっている。 擁護する気持ちはないです。 でも、誰もが可哀想すぎるのではないか。。 とても良い天気が良くて緑の映える青空の下を、沈黙で下を向いて敷地内を歩いている人たち。 それもまた、異様な雰囲気だった。 こんなこと、二度と起きてほしくない。 博物館では「ここで見たものを多くの人に伝えてください」って言っていた。 伝えるのって難しいし、聞くよりも実際に見た方が良いです。 なので、カンボジアに行ったときは、ぜひお立ち寄りください。 その後、マーケット行ったり暑さの中を歩き回ったせいもあるけど、精神的にも疲弊したのか、夕方にホテルに戻ってシャワーを浴びたらそのまま朝まで寝てしまった。。
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僅か一泊という短い旅であったアンコールワットを後にプノンペンに戻ってきた。三日目の朝。 この日は日本を発つ前から決めていたトゥール・スレン虐殺博物館。 とりあえず行ってみた方がいいということだったので行ってみたが。。。 ポルポトという名前もなんか小学生くらいにニュースでやっていたような記憶があるなぁくらいだった。 トゥール・スレン虐殺博物館『百聞は一見に如かず』とは良く言ったものでここはかなり衝撃。 未知の体験といえば未知の体験。知りたくもない体験。 旅行先を検討している人はアンコールワットよりこっちを入れてみた方がいいかと思う。 一体これはなんなのか。名前から推測できるかもしれないが負の遺産に該当するものだ。
日本でいう原爆ドームに近い。人類が人類に対して行った正当化されるべきではない行為が記されている。 1970年くらいから始まったポルポト政権下の行き過ぎた共産主義・思想を発端とする粛清という名の虐殺の記録。まだ生き証人が残っている割と最近の歴史。 恥ずかしながら全然知らなかった。。。 原爆は戦時中の攻撃によるもので、非の有る無しはあるにせよ外部からの攻撃であると捉えている。 しかしこれは、、、ただの政権交代によって国のトップが代わり内側から攻撃されているようなものだ。 反乱分子と見なされると投獄され後付けの証拠を尋問によりでっち上げられ最終的に殺される場所。 もちろんそんな政権が勝つようになるくらい国は退廃していたようだが。 それまでの腐敗した状況と新しい革命後の世界と、どっちが幸せになれるのか。 当時の状況だと私には判断が難しそうだ。(最初は笑顔で迎えられたらしい) またそのような大きな流れは止められないだろうし、その先に何があるかなんて誰が想像できたのか。 この博物館は当時の建物そのまま残されていて中を自由に歩ける。血のシミも床にあるし、鎖を繋いでいたであろうリングが各教室(元小学校だった)の床にたくさん埋められている。監禁されている教室は日本だと公園の汚い公衆トイレがサイズ的にも汚さ的にも想像しやすいか。(写真撮る気分にはなれなかったので撮ってない)そこに半年〜1年、、、で殺される。最終的にのべ1万人以上が収容され生き残ったのは6人。 赤道付近特有の暑さ、シャワーはないに等しい。挙句拷問を受ける日々。ムチ叩きから、水責め、酷いのだと野外に吊るされて気を失ったら糞尿の壺に顔から突っ込まれてまた吊るされるとか(これが小学校の遊具を元に作られていたのだから本当に堪える。。。) 尋問している方も反論すると逆の立場になったり、 外国から船で入ってきただけで監禁されたり、 、、、、、、ないな。 昔からいろんな人が口酸っぱくそういうのアカンよ。とは言ってもナチス、ルワンダ虐殺、南京など、他を認めず受け容れないことによる悲しいことは過去を振り返らず起こってしまう。 人を群れで捉えると恐怖なのかもしれない。集団は謎の意思があるように感じる。もしくはそうじゃないかもしれないのに勝手に判断してしまうかもしれない。ヘイトスピーチとかデモとか見ていると攻撃がこちらに向いている訳ではないのに不安になる。集団は個人よりも圧倒的にパワーがある。人間は想像(ビジョン)に向かって他の動物よりも多くの数が結束することができる種族らしい。だからこそ他を排斥するのではなく受容する方向のエネルギーであることを願うし、行動も他を受け容れ巻き込んで上に昇るようであって欲しい。 集団という観点で言うと私は日本人である。だがその前に一人の私であって、今私が話をしているのはxxx人のあなたではなくあなた自身だ。海外に住んでいた時に強く何回もそう思った。 マーティン・ルーサー・キング曰く 人間はだれでも、創造的な利他主義の光の中を歩むのか、 それとも破壊的な利己主義という闇の道を歩むのか決断しなければならない。 さて、日本は光の道か、闇の道か。 ホテルの朝ご飯朝食はビュッフェ。 日本によくあるホテルの朝食ビュッフェっぽい感じ。 フォーと卵料理はオーダーで作ってくれて、種類が結構あった。 でも、フォーはミニ丼くらいの器だから、他のものが食べられなくなっちゃう。 鳥が頼むから、私は「一口ちょうだい」w フルーツが豊富なのが好き! 3日の食事トゥール・スレン虐殺博物館に行った日なんだけど、、 朝ごはん食べてトゥール・スレンにお出かけ ↓ オルセーマーケット行って ↓ 途中でハンバーガーとアイス食べて ↓ セントラルマーケット行って ↓ 雨降りそうでコンビニ寄って ↓ ホテルに帰宅 その後、二人で朝まで爆睡。 この日はホテルのレストラン行こうかーって言っていたので、残念でした(笑) カンボジアのマーケットオルセーマーケットは混沌としすぎて、写真を1枚も取れず(笑) 積み上げられた商品が倒れそうで怖いし、通路も狭いし、暑いし、いろいろなものがごちゃ混ぜな匂い。 家電も服も食器も食材もアクセサリーもギュッと押し込めた感じ。 迷子になりそう(笑) あと、地震きたら大変だなぁ、、、って思った。 怖くて早く外出たくて、素通りして外に出てしまった(笑) セントラルマーケットは天井が高く、オルセーマーケットより安心感もあり、一応、貴金属を中央に、食材と衣服と雑貨となんとなく場所が区切られていて、歩きやすかった。 売っているものといえば、日本では100均で売っていそうな物だったり、金ピカの何に使うんだ?みたいなものだったり、なんでもあり。 ちょっとした広場で将棋みたいなゲームをやっている人もいて、人が集まる場所なのかな。 めっちゃ暑いんだけどねぇ。。 カンボジアではいろいろなところで、フルーツを剥いて売っている人がいる。 大抵が女性。 ここでも気怠げにフルーツを剥いている人、カットしたフルーツにハエが飛んでくるからなんとなくパタパタやってハエが止まらないようにしている人、皆さん、ガッツリ売ってやるぜ感はなく、緩やかな時が流れている。 混沌具合はオルセーマーケットに負けずなんだけど、食材のところはワクワクできたな〜。 鳥ダウン、暑すぎて避難最終日はそんなに時間もないので、とりあえず、ロイヤルパレス。 でも、鳥がダウンしたから、休憩のため、近くにあったHimawari Hotel & Service Apartmentsのカフェに避難。 ケーキは予想していたよりも美味しかった! ライムジュースとバナナジュース頼んで、お迎えのトゥクトゥクが来るまでの〜んびり。 鳥がずっと寒そうにしていたから、お店の人が温かいお湯をくれて、ほっこりしました♪ カンボジア→バンコク→成田プノンペン国際空港からバンコクまでの短い間に出る食事は相変わらず慌ただしい(笑) 嬉しかったのがPABLOのチーズタルト! バンコクから成田は変わらず。 「fish or sausage?」って聞かれたけど、行きに聞かれた「fish or Omelette?」と同じだった。。残念。 フルーツは美味しかったな。 日本時間の4時くらいに起こされて、食べる(笑) 初めての海外とご飯当然のことながら、生水は飲まないようにしていた。
氷ってどうなんだろう?って思ったけど、まぁいいかって飲んでいたなぁ。 何もなかったから、ちゃんと処理している氷だったのかな。 スパイシーな食べ物は少なかったから、お腹こわすこともなかったし、カンボジア料理は日本人にも合うと思う! 衛生観念を考えてしまうと、躊躇するところもあったり、とにかく暑くてマーケットの屋台は行かなかったけど、次行く機会があったら食べてみたいかも。 あと、フルーツがおいしいねー。 トゥクトゥクさんがくれたフルーツ(名前忘れちゃった)がライチみたいな感じでとても美味しかった。 フルーツ食べる旅に行きたい(笑) 羽田→バンコク羽田→バンコク 金曜日の0:20にバンコクに向かうフライト。 割とすぐにサンドイッチが配られた。 バンコクまで6時間半。0:20発だけど現地時間の04:50にする。 到着の2時間前くらいに朝ごはんで起こされる。 「fish or omelette?」 あれ?「fish or meet?」じゃないの?という、固定観念(笑) fishをもらって、いただきます。 ムニエルみたいなのと、ゆかりご飯。 タイ航空なのに和風な感じ。 ここでは、スマホをリュックに入れていたので、写真取れず。 バンコク→プノンペンさっきのフライトで2食。お腹いっぱい。プノンペンまで1時間15分くらい。 まさかのおやつ。ミートパイとあん団子? すぐ着くんだから、そんなに慌てなくても……って気分。 ミネラルウォーターももらった。 シェムリアップご飯夜ご飯はレストラン。 トゥクトゥクさんに「アプサラダンスが見れるビュッフェあるよ」って言われ、12$でそんなに高くないしどーするって考えていたら「日本人客が多いよ」って言われて、鳥が一気に興味なくなった感じ(笑) 私もあまり興味ないから、オールドマーケットに連れて行ってもらった。 おすすめは「アモック」という魚料理。 あとは豚肉とレモングラスとか生姜ぽい何かが入っているスープ。 翌日の朝食はフォーを食べた。 日本で食べるのと同じ感じ。 フレッシュジュースが美味しかった♪ 写真撮り忘れた! ランチはトゥクトゥクさんにカンボジア料理のお店に連れて行ってもらった。 観光客向けのちょっとお高めなレストランかな? カレーとお肉の串焼きみたいな。 カンボジア料理はスパイシーじゃなくて、日本人にとても合うと思う。 プノンペンに戻った日の夕食は、なぜか中華料理を食べた(笑) 前回に引き続きカンボジア旅行記Day2! 朝日の中のアンコールワット!向こうの方達(観光地だとそんなもんか?)は商売っ気が非常に強い。 Day2は朝一からアンコールワットとDay1で行けなかった遺跡群を諸々回ろうという計画をしていた。 Day1のトゥクトゥクの運転手と、宿泊先で手配した(キャンセルしたんだが)のトゥクトゥクの運転手二人が朝一ホテルの前で待機しているという珍事件がおきたのだが「ごめんなさーい」って言って終了。 大樹が寺院に巻きついてるやつを見たかったのでDay1でそれなりお腹いっぱいだったのだけど一辺倒全部周ってみる。細かいのは写真を見ていただければいいかなと。 印象的だったのは 物売りの子供達が多い。向こうに夏休みとか休日というのがどういう風に存在しているのか分からないし、学校行ってる風な子供もいたので全員という訳ではないが。。。5歳くらいの少女が「1 dollar, 1 dollar, I don't like you say NO... 1 dollar, 1 dollar, pictures, chains pair 2 dollar 2 dollar.....」とエンドレスに遺跡の終わりまでついてくるのは何というか、日本て恵まれてんだなと強く思った瞬間。 結局1ドルでも2ドルでも必要ないものは買わない主義なので徹底的に「No thanks」を連呼して買っていないのだけど。 幸せの定義とは。人間って選択肢が多い、情報量が多いと不幸せになるんだと。なんかで読んだ。
だから情報統制が厳しい北の国とかでも人々の幸福度はそれなり高いらしい。 カンボジアの売り子も、昔の日本も、もしかすると情報格差のある田舎とかも、大阪のあいりん地区の人らも、都会の人たちよりは幸せなのかもしれない。そう見えなくもない。東京みたいな大きな都市は情報が多すぎて、さらに比較できる対象がたくさんあって、あっちこっちで光り輝いて見えるのだろう。光り輝く幸せに向かって飛ぶ必要性があるように感じるからなのか、いつまでも満たされないように感じるのかもしれない。上には上がいる。 別に他人と比べたり、自分の中に幸せの定義があればいい気もするけど。大きな場所に住みたいとか、美味しいものを毎日食べたいとかそういう欲求がない訳ではないから難しい。 自分なりの幸せとかある程度見つかってはいるが常に疑問が湧いてくる。 その疑問と共にアレコレ悩みながらやりたいことをやるってのが幸せなのかなー。 結局どこかに眠っている原体験に戻るのであれば、アッチいったりコッチいったりしても最終的には売り子がものを売っていたような自分の原体験に回帰してそこに幸せがあるのかもしれないと思ったりする。 ということでその後プノンペンに戻り少しグダグダしてDay2は終了! 「GeneLife® Haplo 祖先遺伝子検査キット」で鳥と私の祖先を調べてみることにしました。 日本人の9人の母アメリカ・ネイチャー誌に1987年に発表された、レベッカ・キャン博士らによる「ミトコンドリア・イヴ論文」によると、ミトコンドリアDNA(母から遺伝するDNA)を辿ると「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれる一人のアフリカの女性に行き着くそうです。 人類の起源はアフリカからという「アフリカ単一起源説」 ちなみに、ミトコンドリア・イブが唯一の人類の祖先ではなく、母系のミトコンドリアDNAを辿っていくと、ミトコンドリア・イブに辿り着いたよって話なのですが、まぁ、この話は割愛w で、ミトコンドリア・イブの子孫たちは、様々な人種に枝分かれして、現代人は35人の母の子孫と言われていて、更に、日本人の95%が9人の母が起源とされているそうです。 今回は検査キットで鳥と私のミトコンドリアDNAの型の違い「ハプログループ」を調べてみることにしました♪ 検体を採取する!鳥と私の細胞を採取しまーす。 箱を開けると、説明書と同意書と検査キットが入っていました。 赤い蓋に長い綿棒がついていて、ほっぺの内側をクルクルして、10分乾かして蓋して完了。 郵便ポストに投函して完了。 検査結果は1ヶ月後です!! カンボジアの行程にみたいなのは、鳥がまとめると思うから、私は気になったことから書いていこうと思います。 ちなみに、個人的に思ったことや見たことを書いているので、情報としては完全に保証しません! 交通事情プノンペンに市バスがあったけど、それ以外の公共交通は無い。たぶん。 バイクが多く、自転車もまぁまぁ見かける。 車も走っているけど、レクサスとかランドクルーザーとかお高い車ばかりだから、裕福層なんだろうな。 バイクの乗り方はかなりアグレッシブ。 2人乗りは当たり前。バイクタクシーってのがあるくらいだからね。 ねんねの赤ちゃんを抱っこして3人乗りとか、大人もギュッと寄せて3人乗りとか。 もちろんノーヘルも多数。 あと、信号の意味は半分位くらいしかない。 赤なのにバイクはガンガン通るから、歩行者は青でも横断歩道が渡れない。 最初は戸惑ったけど、後半はコツがわかって、ユルユル歩けばバイクは避けていくから、スムーズに渡れるようになりました(笑) そんなわけで、移動の手段はトゥクトゥクです。 トゥクトゥクトゥクトゥクは屋根あるから直射日光の暑さはない。走ってる間は風が吹いていい感じ。 パッと見た感じ4人乗り。座り心地は悪くない。 カンボジア滞在中は6人でキュウキュウに乗っているのも見かけた(笑) カンボジアのトゥクトゥクは座席と一体型じゃなくて、バイクに座席をつなげている。 バイクが座席を引っ張っている感じで、最初はちょっと怖かったけど、トゥクトゥクの運転手さんは運転がうまい。 素晴らしい車体感覚で、きわっきわで上手に障害物を避ける。 シェムリアップよりもプノンペンのトゥクトゥクの方が豪華な感じに見えた。 運転席まで屋根がついてるし、サイドミラーも装備。 プノンペンは三車線の道路もあって、車もバイクも多いから、シェムリアップとは別の進化をしてそう。 自前のトゥクトゥクで(借り物な人もいるっぽい)、名前を入れたり、ホテル専属だとホテル名が書いてあったり、上からカゴがぶら下がっていたり、座席の下が収納だったり、みなさんそれぞれ自由に装飾していておもしろい。 後ろ座席の裏には広告を載せている人もいたけど、広告媒体として活用するトゥクトゥクさんは少ない。 あまりそういった文化ではないのかなぁ。。もったいない。 広告収入になるのになぁ…… カンボジアは7月は雨季でスコールが降ります。 トゥクトゥクさんたちは座席の雨よけをおろしたり、レインコート来たりを、降り始める前から準備します。 天気には敏感のようです。 トゥクトゥクさんシェリムアップ空港にいるトゥクトゥクさんは登録制なのか、IDカードを持っていて、駐車場に入るときにカードをピッとやっていました。 空港で乗せてくれたトゥクトゥクさんには2日目もお願いし、ルートや遺跡の説明をちゃんとしてくれたり、写真を撮ってくれたり、とてもいい人でした。 空港にいたときの服装は制服みたいな感じで、ちょっとだけピシッとした感じだったけど、2日目は直接ホテルに来てもらったからか、ジーンズとシャツというカジュアルな服装でした。 プノンペンでは市バスも使ってみたけど、それ以外はトゥクトゥク。 最終日に乗せてもらったトゥクトゥクさんの座席にはホテルの名前と番号がついていて、これもまた安心な感じ。 交通事情やトゥクトゥクだけでも語る事ありすぎて、もっと知りたいことありすぎて、ダラダラと長くなってしまう。。 また気が向いたら書こうかな。今日はここまで。 しばらく空いてしまった。カンボジアの最終日に高熱を出してしばらく復活するまでかかってしまった。 ということでカンボジアに行ってきた。周囲の方にはなぜカンボジアなのかw それは 3,4日で行ける範囲で何か大きなものを見に行きたいと思ったから。 それ以上もそれ以下もない。韓国とかあまり文化圏が大きく変わらないし、中国は行ったことあるし、オーストラリアやアメリカあたりになると行動できる日が1日くらいしかなさそうでほぼフライトというのも残念だな。ということでカンボジアにした。 さて、実際どんな国だったのかというと。 暑い!!砂っぽい!!とりあえず羽田空港から乗って、タイ国際空港に行き、プノンペン空港に行き、そのままシェムリアップ(アンコールワットがある最寄りの空港)に行った。13,4時間くらいほぼフライト。
プノンペン空港でちょっと外に出たりしたのだが、かなり砂っぽい。そしているだけで汗をかく非常に暑い地域(おかげで最終日にやられたのだけど)。 シェムリアップについてから速攻トゥクトゥクという乗り物に乗り市街まで行く。空港周辺と市街地は結構整備されているけどそれでも少し脇道に入ればまだ未舗装の道路で、それでも車やバイクが走るのでだいぶ砂っぽい。そして何よりも、暑い!!!!これこの国の方達の労働意欲を削ぐんじゃないかくらい暑い。。。 久しぶりに感じた日本って整備されている国なんだなと(発展途上の国と比較してもあまり意味がないのだけど)。ただ昔はそうだったのだろうし、これから先がどうなるのかは分からない。昔の姿もそれなりに原風景としては好きだし、今の日本の姿も快適という意味だと嫌いではない。 さて、初日から早速遺跡巡り。いろんなところに行ったが、細かいことは省略。 写真だけ載せておくことにしよう。 遺跡群自体は12世紀とかそのあたりのものらしい。日本でいうと鎌倉時代辺りか。土地とか文化のせいもあるのか、日本だとこういう建物は基本木製だけどあちらは石で作っている。あまり強い木もなかったのかもしれない。かなり大きな遺跡群があって「人間ってこういうの作れるんだなー」とか「なんか作ると時代に残るってものもあるんだなー」とか思って周っていた。 半日ざーっと周ってご飯食べてDay1は終了。 そんなに長く生きていないけど大きく価値観が変わることとか、自分自身の心根で判断したことがある。 その時はそれがどんな影響を及ぼすのかそんなに遠くまで考えることはなかった。 ただ「楽しそうだから」とか「そっちの方が良い気がするから」とかそんなもんで判断してきた。 行った道を振り返ると…そんな適当な判断の元に選択をして行動をしてきたのだが、振り返ると自分自身がちょっとずつ進化してるんじゃないかなと思える。やっている時はただひたすらに進んでいるので全然気づかないのだが。。。 この「判断をして行動をする」というのを進化のタネであると思っている。 今ワタリドリは何やるかまっっっっっったく決まっていない(笑)そしてあんまり焦っていない。 この時期はひたすらに自分に向き合い続けている感じがするしそれで良いのだろう。 「楽しそう」とか「良さそう」とか「好き」とかをじんわり見つけていきたいのだ。 あまりにも鈍っていてこの「楽しそう」とか「良さそう」とか見つけづらくなっている自分がいるのにも気づいている。だから進化のタネの見つけ方を探しているのだが、十人十色だ。 いろんな人がいて、「そういう時はとりあえずやってみたらいい」「そういう時はのんびり本読んで美味しいものを食べていたらいい」「そういう時は目の前の仕事に没頭したらいい」などなど。 嫁と話をしていると思う、多分自分の場合はひたすらに自分に向き合い続けるのが良さそうである。 人によっては自分以外の誰かとの会話を通して見つめることが多い。という人もいる。 自分もおそらくある程度の外界からのショックによって得ることも多い。過去の経験でもそれはそうだった。 あぁこれかもな。と思える新しい何か。を探している。 ということで絶賛探している進化のタネワタリドリの掲げている「未知の体験」というのもその進化のタネの一つだろう。
過去ものすごい価値観を変えた場所がある。 それまで見たことのないものに出会って衝撃を受けた。 また行きたいなーと思っているし近いうちに行く。 ということで、今この割と自分自身を「よくわからんなー自分の感情とか?」「楽しさってなんだろうか?」とか思いながらのんびり構えている状況で、かつある程度生活ができて、かつなんでも話せる嫁がいて、というこの何か良さげな状況で同じような衝撃が受けられるといいかもな。 と思ったので明後日からカンボジア行ってきます。 未知に出会って、ワクワクして、悟り開こう。 また考えていた幸せの定義。 つらつらと文字にしてみる。 鳥と私の違い私は「美味しい」も「楽しい」も「嬉しい」も幸せの一種なんじゃないかなと思ってる。 美味しくて幸せ 楽しい時間を過ごせて幸せ 嬉しいことあって幸せ みたいな。 でも、鳥は違う。 美味しいは美味しい。 楽しいは楽しい。 嬉しいは嬉しい。 まぁ、私も全部の美味しいが、必ずしも幸せなのかって言うと違う気もするけど、大体は幸せかな。 鳥の幸せは、想像を超えるワクワクに出会った時らしい。 アドレナリンっぽい! 私にとってはそれも幸せと言う。 私は幸せのハードルが低い(笑) あいりん地区で思ったこと前日、大阪であいりん地区のairbnbに泊まった。 あえて選んだのではなく、予約したらあいりん地区だったわけで…… 夜遅くに通ったら、屋根のあるところは、連なるように人が寝ていた。 見たことないくらいの自転車の量。でも、キレイに並んでいた。 明るくなった時間も雰囲気がなんだか違う…… たくさんある生活保護相談所、擦り切れたズボン、季節外れの長袖、一泊千円台の宿、やたら安い自販機。缶ビールは150円だった。 道路に座り込んでビールを飲みながら談笑する人達。 すれ違う人に邪悪な雰囲気は不思議と感じられなかった。 週末にオシャレなカフェでオシャレなパンケーキ食べておしゃべりする女子と、あいりん地区で道に座って缶ビール飲みながら談笑していた人、どちらが幸せなんだろう。同じくらい幸せなのかもしれない。 鳥が言ってた。 外で寝るのはあまり好きじゃないかも。。。虫いそうだし。。 今みたいに安い賃貸マンションで寝れるのは、十分満たされている。 高層マンションの最上階でキングサイズのベッドじゃなくていい。 良いとか悪いとかじゃない。 でも、何かの衝撃があった。 うまく言葉にできない感覚があった。 ミャウと野良猫ちゃんうちには茶トラのオス猫「ミャウ」がいる。 生まれた場所はゴミ屋敷。 2匹兄妹の子猫と一緒に保護された子で、保護主さんから譲っていただき、里親になりました。 成猫になった今は、ビビリで知らない人が来ると押入れにこもって出てきません。 動物病院では子猫にシャーってされて、ケージの中で後ずさり。 保護されて以降、家猫だから、外の世界を知らない子。 ご飯は健康を考えて、カロリー控えめのキャットフード。 駐輪場に行く途中で出会った猫はまだ小さな黒猫。 耳の先がカットされているさくらねこだったから、避妊・去勢手術して、ここにリリースされたみたい。 懐っこく、同じスピードで隣を歩いても逃げない。 ニャニャって鳴き声が、小さかった時のミャウに似ている。 翌日、娘も見かけて写真を送ってくれた。 ご飯は近くにあるどんぶり屋さんがくれるお刺身らしい。豪華! 寒い冬も雨の日も関係なく安全な家にいられて、キレイな飲み水とご飯が用意されているけど、世界は広いことや、外を自由に歩きまわってドキドキとワクワクに遭遇することもなく、お刺身もらえないミャウ。 のら猫ちゃんはその反対。 どっちが幸せ? 幸せ判定他と比較するのは違う気がする。
幸せじゃないこととの格差で幸せと感じると言う人もいた。 ドラマってほとんど見たことないんだけど、懐かしいドラマ「29歳のクリスマス」で心に残っているセリフがある。 「幸福の中に、ぽつんぽつんと不幸があるのと 不幸の中に、幸福がぽつんぽつんとあるのと どっちがいいと思う?」 以前はより幸せを強く感じることができそうな後者だったんだけど、今は幸せの中にぽつんぽつんと不幸がある方がいいなって思った。 だって、いつも幸せなんだから、ぽつんと来る不幸なんてどうってことなさそうだから。 ほんわか「幸せだなぁ」って時は、何かと比較してなくて、自然と溢れる感情。 「あなたは幸せですか?」と聞かれると、無意識に何かと比較して、格差で判断している気がするなぁ。 何が幸せを決めるんだろう。 誰か教えてー |